ロジャー・フェデラー(スイス)は、1998年にジュニア世界チャンピオンとなり、同年17才でプロに転向した。
ジュニア時代、1998年7月にスイス グスタード開催の「スイス・オープン・グスタード」でATPツアー(現在のATPワールド・ツアー)デビューを実現するが、初戦敗退。
バーゼル「スイス・インドアーズ・バーゼル」では第1回戦でアンドレ・アガシ(アメリカ)と対戦し敗退する。
そしてプロ転向後の1999年1月、ATPワールド・ツアーの下位ツアーであるATP チャレンジャー・ツアーの1つ、ドイツ ハイルブロンの大会の予選を突破し出場。準決勝に進出した。
翌月には、フランス マルセイユ「オープン13」にワイルドカードとして出場の機会を得る。
ロジャー・フェデラーの軌跡
プロデビュー~グランドスラム優勝
1999年
■ モヤに勝利、世界ランキング64位へ
2000年
■ 期待されるが優勝なし 世界ランキングは29位へ
2001年
■ 初タイトル獲得 世界ランキングTOP 10入り
2002年
■ 恩師との別れ、ファイナル初出場
2003年
■ グランドスラム初優勝
【ロジャー・フェデラーの軌跡1】幼少期~ジュニア時代 はこちら
1999年 モヤに勝利、世界ランキング64位へ
1999年2月、ロジャー・フェデラー(スイス)はフランス マルセイユ「オープン13」にワイルドカードとして出場。
第1回戦の対戦相手は、第1シードであり翌月には世界ランキング1位を獲得する、カルロス・モヤ(スペイン)であった。
de 1999 en España, CARLOS MOYÁ se convierte en el primer español en alcanzar el puesto número uno de la ATP. @Charlymoya #UnDiaComoHoy pic.twitter.com/9iZJWIKfIs
— UN DÍA COMO HOY (@1DiaComoHoyPero) 2017年3月15日
そして第1回戦、第1セットをタイブレイクの末にロジャー・フェデラーが獲得。
フルセット、1時間53分に及ぶ接戦となり、17才のロジャー・フェデラーがカルロス・モヤに勝利。
さらにロジャー・フェデラーはその後、準々決勝(ベスト8)進出を果たした。
ロジャー・フェデラーは続くロッテルダム「ABN AMRO ワールド・テニス」では予選を突破し本選に出場、2大会連続で準々決勝に進出した。
1999年は、全仏オープン、ウィンブルドンに出場しグランドスラム(4大大会)デビューも果たすが、いずれも初戦敗退。
しかし、着々と実績を積み上げ、1999年9月には、世界ランキング100位以内に浮上。1999年末世界ランキングを64位で終えた。
ロジャー・フェデラー 1999年成績
月 | 大会 ・開催地 | 成績 | サーフェス | カテゴリ | 開催国 | |
---|---|---|---|---|---|---|
2月 | マルセイユ | ベスト8 | /32 | ハード | - | フランス |
2月 | ロッテルダム | ベスト8 | /32 | カーペット | - | オランダ |
3月 | マイアミ | R128 | /96 | ハード | ATP Super 9 | アメリカ |
4月 | モンテカルロ | R64 | /56 | クレー | ATP Super 9 | モナコ |
5月 | 全仏オープン | R128 | /128 | クレー | グランドスラム | フランス |
6月 | ロンドン・クイーンズクラブ | R64 | /56 | 芝 | - | イギリス |
6月 | ウィンブルドン | R128 | /128 | 芝 | グランドスラム | イギリス |
7月 | グスタード | R32 | /32 | クレー | - | スイス |
8月 | ワシントンDC | R64 | /56 | ハード | - | アメリカ |
9月 | タシュケント | R16 | /32 | ハード | - | ウズベキスタン |
9月 | トゥールーズ | R16 | /32 | ハード | - | フランス |
10月 | バーゼル | ベスト8 | /32 | カーペット | - | スイス |
10月 | ウィーン | ベスト4 | /32 | ハード | - | オーストリア |
10月 | リヨン | R32 | /48 | カーペット | - | フランス |
2000年 期待されるが優勝なし 世界ランキングは29位へ
2000年、ロジャー・フェデラー(スイス)は、前年にカルロス・モヤ(スペイン)を下しテニス界を驚かせたマルセイユ大会に再度出場、決勝まで進出した。決勝戦でスイスの同胞マルク・ロセに敗北するが、準優勝を果たした。
続くロンドン大会でも、準々決勝に進出するが、マルセイユ決勝戦と同じマルク・ロセ(スイス)に敗れた。
当時、スイステニス協会は内紛にあり、選手たちはストライキするか否かの状況にあった。
マルク・ロセ(スイス)は、ロジャー・フェデラーの先輩であり、混乱を共に戦った同士でもあった。
その後、ロジャー・フェデラーはコペンハーゲン大会でも準決勝進出を果たし、2000年4月、スイス・テニス協会から独立する。
同時期、オールドボーイズ時代(「オールドボーイズ」はロジャー・フェデラー幼少期に所属していたテニスクラブ)から長年指導を仰いだコーチ、ピーター・カーターから離れることとなる。
ロジャー・フェデラーは、シドニーオリンピックにスイス代表として出場。男子シングルスで1セットも失うことなく準決勝に進出し、メダル獲得が期待される。
しかし、準決勝でトミー・ハース(ドイツ)に敗れ、3位決定戦ではアルノー・ディ・パスカル(フランス)に敗北、4位に終わる。
この2000年シドニーオリンピックがきっかけで、スイスのテニス女子代表、「ミルカ」ことミロスラヴァ・ヴァヴリネックとの交際を開始。
ミルカは後の2009年、ロジャー・フェデラーと結婚する。
10月には、地元バーゼル開催の「スイス・インドアーズ・バーゼル」に再度出場し、準決勝で当時世界ランキング9位のスーパースター、レイトン・ヒューイット(オーストラリア)を下す。決勝戦では同6位であったトーマス・エンクビスト(スウェーデン)に敗れ、準優勝となった。
2000年末、ロジャー・フェデラーは世界ランキングを29位で終えた。
ロジャー・フェデラー 2000年成績
月 | 大会 ・開催地 | 成績 | サーフェス | カテゴリ | 開催国 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1月 | アデレード | R16 | /32 | ハード | - | オーストラリア |
1月 | オークランド | R32 | /32 | ハード | - | ニュージーランド |
1月 | 全豪オープン | R32 | /128 | ハード | グランドスラム | オーストラリア |
2月 | マルセイユ | 準優勝 | /32 | ハード | - | フランス |
2月 | ロンドン | ベスト8 | /32 | ハード | - | イギリス |
2月 | コペンハーゲン | ベスト4 | /32 | ハード | - | デンマーク |
3月 | マイアミ | R64 | /96 | ハード | マスターズ | アメリカ |
4月 | モンテカルロ | R64 | /64 | クレー | マスターズ | モナコ |
4月 | バルセロナ | R64 | /56 | クレー | - | スペイン |
5月 | ローマ | R64 | /64 | クレー | マスターズ | イタリア |
5月 | ハンブルグ | R64 | /64 | クレー | マスターズ | ドイツ |
5月 | ザンクト・ペルテン | R32 | /32 | クレー | - | オーストリア |
5月 | 全仏オープン | R16 | /128 | クレー | グランドスラム | フランス |
6月 | ハレ | ベスト8 | /32 | 芝 | - | ドイツ |
6月 | ノッティンガム | R32 | /32 | 芝 | - | イギリス |
6月 | ウィンブルドン | R128 | /128 | 芝 | グランドスラム | イギリス |
7月 | グスタード | R32 | /32 | クレー | - | スイス |
7月 | トロント | R64 | /64 | ハード | マスターズ | カナダ |
8月 | シンシナティ | R64 | /64 | ハード | マスターズ | アメリカ |
8月 | インディアナポリス | R64 | /56 | ハード | - | アメリカ |
8月 | 全米オープン | R32 | /128 | ハード | グランドスラム | アメリカ |
9月 | シドニーオリンピック | 4位 | /64 | ハード | - | オーストラリア |
10月 | ウィーン | ベスト4 | /32 | ハード | - | オーストリア |
10月 | バーゼル | 準優勝 | /32 | カーペット | - | スイス |
10月 | シュトゥットガルト | R32 | /48 | ハード | マスターズ | ドイツ |
11月 | リヨン | R16 | /32 | カーペット | - | フランス |
11月 | パリ | R64 | /48 | カーペット | マスターズ | フランス |
11月 | ストックホルム | R16 | /32 | ハード | - | スウェーデン |
2001年 初タイトル獲得 世界ランキングTOP 10入り
February 4, 2001: Roger Federer wins his first ATP title in Milan https://t.co/KOCyS6vYob pic.twitter.com/QiniPy6DKO
— Tennis World USA (@TennisWorlden) 2017年2月5日
2001年初め、ロジャー・フェデラー(スイス)はミラノ大会で優勝、初タイトルを獲得する。
準決勝・決勝はフルセットの試合となり、決勝戦では2時間20分に及ぶ接戦の末、勝利。ATPワールドツアーレベルの大会で、念願の初タイトルを獲得した。
続くマルセイユ大会でも準決勝に進出、ロッテルダム大会では準優勝を果たした。
当時グランドスラムに次ぐ大会であったマイアミ テニス・マスターズ(現在のATP ワールド・ツアー・マスターズ1000)では準々決勝に進出。
遂に世界ランキングTOP 10 に躍り出た。
そして、グランドスラム「全仏オープン」で準々決勝に進出。
グランドスラム「ウィンブルドン」では、第4回戦で大会第1シード ピート・サンプラス(アメリカ)と対戦した。
ピート・サンプラス(アメリカ)は、ウィンブルドンに計7回優勝しており、当時4連覇中(1997年~2000年連続優勝)であった。
更に、ロジャー・フェデラーとの試合前まで31試合連続勝利を記録していた。
両者は初対戦の大舞台で、フルセット、3時間41分に及ぶ激戦を繰り広げ、ロジャー・フェデラーが勝利。
優勝候補であった大スターに勝利し、ピート・サンプラス(アメリカ)自身がロジャー・フェデラーを「ロジャーは格別」と絶賛したことで、ロジャー・フェデラーはテニス界の注目を集めた。
なお、ロジャー・フェデラーとピート・サンプラス(アメリカ)との対戦は、公式試合ではこの1試合のみとなった。
ロジャー・フェデラーは準々決勝に進出するが、準々決勝でもう一人の優勝候補、ティム・ヘンマン(イギリス)と対戦し敗退する。
ウィンブルドン後、ロジャー・フェデラーは内転筋(内ももの筋肉)を傷め、カナダ・マスターズやシンシナシティ大会を欠場。
バーゼル大会では決勝に進出するが、ウィンブルドンと同じティム・ヘンマン(イギリス)に敗れ、準優勝となる。
2001年末世界ランキングを13位で終えた。
ロジャー・フェデラー 2001年成績
月 | 大会 ・開催地 | 成績 | サーフェス | カテゴリ | 開催国 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1月 | シドニー | ベスト8 | /32 | ハード | - | オーストラリア |
1月 | 全豪オープン | R32 | /128 | ハード | グランドスラム | オーストラリア |
1月 | ミラノ | 優勝 | /32 | カーペット | - | イタリア |
2月 | マルセイユ | ベスト4 | /32 | ハード | - | フランス |
2月 | ロッテルダム | 準優勝 | /32 | ハード | - | オランダ |
3月 | インディアンウェルズ | R64 | /64 | ハード | マスターズ | アメリカ |
3月 | マイアミ | ベスト8 | /96 | ハード | マスターズ | アメリカ |
4月 | モンテカルロ | ベスト8 | /64 | クレー | マスターズ | モナコ |
5月 | ローマ | R16 | /64 | クレー | マスターズ | イタリア |
5月 | ハンブルグ | R64 | /64 | クレー | マスターズ | ドイツ |
5月 | 全仏オープン | ベスト8 | /128 | クレー | グランドスラム | フランス |
6月 | ハレ | ベスト8 | /32 | 芝 | - | ドイツ |
6月 | スヘルトーヘンボス | ベスト4 | /32 | 芝 | - | オランダ |
6月 | ウィンブルドン | ベスト8 | /128 | 芝 | グランドスラム | イギリス |
7月 | グスタード | R32 | /32 | クレー | - | スイス |
8月 | 全米オープン | R16 | /128 | ハード | グランドスラム | アメリカ |
10月 | モスクワ | R32 | /32 | カーペット | - | ロシア |
10月 | ウィーン | ベスト8 | /32 | ハード | - | オーストリア |
10月 | シュトゥットガルト | R32 | /48 | ハード | マスターズ | ドイツ |
10月 | バーゼル | 準優勝 | /32 | カーペット | - | スイス |
10月 | パリ | R32 | /48 | カーペット | マスターズ | フランス |
2002年 恩師との別れ、ファイナル初出場
2002年、シドニー大会優勝で新年のスタートを切ったロジャー・フェデラー(スイス)は、前回ウィンブルドンでピート・サンプラス(アメリカ)に勝利したこともあり、続くグランドスラム「全豪オープン」で活躍の期待を一心に背負っていた。
グランドスラム「全豪オープン」第1回戦でマイケル・チャン(アメリカ)にストレートで勝利し、ドローにも恵まれたと見られていたが、第4回戦でトミー・ハース(ドイツ)に敗退を喫する。
天性の才能と恵まれた体格を持つロジャー・フェデラーは、まだ青年であり、溢れるエネルギーを上手くコントロールできずにいた。
Hamburg 2002 style ☺ #federer pic.twitter.com/8WI9ehBoAN
— DinoRFa (@norinchi_df) 2015年11月30日
2001年5月のハンブルグ大会では、第1回戦で敗れた直後、ラケットを叩き折った。
2002年2月~3月に開催されたドバイ大会では、第2回戦、第1セットを失った後、第2セットを投げやりな様子でプレーし敗北。このときの態度が問題となり、ロジャー・フェデラーは大会から約束されていた報酬の支払いをストップされた。※
※ 交渉により、報酬は、翌年大会にて適切な努力をした場合に支払うという「保留」扱いになった。そして、ロジャー・フェデラーは翌年、ドバイ大会に出場し優勝。”努力”を示し、報酬の支払いを受けた。その後、ロジャー・フェデラーは大会3連覇を収めることとなる。
改心したロジャー・フェデラーは、3月のマイアミ テニス・マスターズにて、宿敵ティム・ヘンマン(イギリス)を下し、準決勝では当時世界ランキング1位であったレイトン・ヒューイット(オーストラリア)に勝利した。
決勝戦ではアンドレ・アガシ(アメリカ)に敗れ準優勝となるが、テニス・マスターズでの決勝進出、世界ランキング1位に勝利したことはロジャー・フェデラーにとって初めての経験であり、大きな自信につながった。
その後、ロジャー・フェデラーは、前年に第1回戦で敗れラケットを折ったハンブルグ大会に再度出場。遂にテニス・マスターズ初優勝!を果たした。
2002年ハンブルグ大会には、第11シードとして出場。決勝戦では、マラト・サフィン(ロシア)と対戦。
マラト・サフィン(ロシア)は、準々決勝でレイトン・ヒューイット(オーストラリア)にストレートで勝利し、その後決勝進出を決めていた。
決勝戦は、5セットマッチ(3セット先取)で行われたが、ロジャー・フェデラーが第1セットを6-1 で奪い試合をリード、計8回のブレイクに成功し、2時間2分、ストレートで勝利。
念願のテニス・マスターズ初タイトルを獲得した。
(Twitter: ハンブルグ大会決勝戦、フェデラー優勝)
しかし、期待されていたグランドスラム「全仏オープン」、「ウインブルドン」に初戦敗退。
トロント テニス・マスターズでも初戦敗退となる。
Federer: 'Peter Carter was the coach and friend who helped me the most' https://t.co/Zs0hsVmyOG pic.twitter.com/k4qeJIZ6zi
— Tennis World USA (@TennisWorlden) 2017年7月5日
このトロント テニス・マスターズ第1回戦で敗退した直後、ロジャー・フェデラーは、少年時代からの恩師、ピーター・カーターの死亡を聞かされる。
ハネムーン中の自動車事故であった。
ロジャー・フェデラーはピーター・カーターの死を乗り越え、大人になったと言われている。実際、コートで癇癪を起すことがなくなった。
後に、ロジャー・フェデラーは
「ピーターの死は僕のキャリアに大きな影響を与え、人生観も変えた」
と語っている。
シーズン終盤、ロジャー・フェデラーは、ランキング上位8名のみが出場できるマスターズカップ(現在のATP ワールド・ツアー・ファイナル)に初出場し、準決勝進出を果たす。
準決勝ではレイトン・ヒューイット(オーストラリア)に敗れたが、準決勝前のラウンドロビン(総当たり戦)で3戦全勝。2002年末世界ランキングを6位で終えた。
A vintage photo! @ATPWorldTour Finals 2002. Agassi, Ferrero, Safin, Hewitt. Look who's the last man standing? Federer! pic.twitter.com/pbxjdpac
— Roger Federer News (@FedererNews) 2012年11月4日
ロジャー・フェデラー 2002年成績
月 | 大会 ・開催地 | 成績 | サーフェス | カテゴリ | 開催国 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1月 | シドニー | 優勝 | /32 | ハード | - | オーストラリア |
1月 | 全豪オープン | R16 | /128 | ハード | グランドスラム | オーストラリア |
1月 | ミラノ | 準優勝 | /32 | カーペット | - | イタリア |
2月 | ロッテルダム | ベスト8 | /32 | ハード | - | オランダ |
2月 | ドバイ | R16 | /32 | ハード | - | アラブ首長国連邦 |
3月 | インディアンウェルズ | R16 | /64 | ハード | マスターズ | アメリカ |
3月 | マイアミ | 準優勝 | /96 | ハード | マスターズ | アメリカ |
4月 | モンテカルロ | R32 | /64 | クレー | マスターズ | モナコ |
5月 | ローマ | R64 | /64 | クレー | マスターズ | イタリア |
5月 | ハンブルグ | 優勝 | /64 | クレー | マスターズ | ドイツ |
5月 | 全仏オープン | R128 | /128 | クレー | グランドスラム | フランス |
6月 | ハレ | ベスト4 | /32 | 芝 | - | ドイツ |
6月 | スヘルトーヘンボス | ベスト8 | /32 | 芝 | - | オランダ |
6月 | ウィンブルドン | R128 | /128 | 芝 | グランドスラム | イギリス |
7月 | グスタード | R16 | /32 | クレー | - | スイス |
7月 | トロント | R64 | /64 | ハード | マスターズ | カナダ |
8月 | シンシナティ | R64 | /64 | ハード | マスターズ | アメリカ |
8月 | ロングアイランド | R32 | /48 | ハード | - | アメリカ |
8月 | 全米オープン | R16 | /128 | ハード | グランドスラム | アメリカ |
9月 | モスクワ | ベスト8 | /32 | カーペット | - | ロシア |
10月 | ウィーン | 優勝 | /32 | ハード | - | オーストリア |
10月 | マドリッド | ベスト8 | /48 | ハード | マスターズ | スペイン |
10月 | バーゼル | ベスト4 | /32 | カーペット | - | スイス |
10月 | パリ | ベスト8 | /48 | カーペット | マスターズ | フランス |
11月 | マスターズカップ | ベスト4 | /8 | ハード | - | - |
12月 | ドーハ | ベスト8 | /32 | ハード | - | カタール |
2003年 グランドスラム初優勝
2003年初め、ロジャー・フェデラー(スイス)はマルセイユ大会、ドバイ大会、ミュンヘン大会に優勝、ロッテルダム大会では準決勝に進出、マイアミ大会でも準々決勝に進出し、世界ランキング5位を獲得した。
順調なスタートを切ったと見られ、世界トップの座が期待された矢先、グランドスラム「全仏オープン」に初戦で敗退する。初戦敗退は2年連続となった。
「期待を裏切る天才児」「最高の舞台で活躍する器でない」「天才は大成しない」など、ロジャー・フェデラーの今後を疑問視する声がささやかれ始めた。
グラス(芝)・コート シーズンに入り、ロジャー・フェデラーはウィンブルドン前哨戦とも呼ばれるハレ大会に優勝。
そして、グランドスラム「ウィンブルドン」で優勝を果たした。
A: #Federer won his first Grand Slam in 2003 at Wimbledon. #usopen #FedvNole pic.twitter.com/nMiAVBko0s
— US Open Tennis (@usopen) 2015年9月13日
ロジャー・フェデラー 21才、初めてのグランドスラム タイトルであった。
決勝戦に勝利した後、コート上でのインタビューでロジャー・フェデラーは
「子供の頃からの夢を遂に実現できた。そして今ここにいる…」と涙で言葉を詰まらせた。
試合後の記者会見では、
「大きなプレッシャーがあった。やっと期待に応えられて、ホッとしている」
と語った。本心であろう。
こうして、ロジャー・フェデラーの偉業がスタートした。
グランドスラム「全米オープン」はベスト16で敗退するも、ウィーン大会に優勝。
年末のマスターズカップではアンドレ・アガシ(アメリカ)に初めて勝利、優勝を果たした。
2003年末世界ランキングをアンディ・ロディック(アメリカ)に次ぐ世界2位で終えた。
ロジャー・フェデラー 2003年成績
月 | 大会 ・開催地 | 成績 | サーフェス | カテゴリ | 開催国 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1月 | シドニー | R32 | /32 | ハード | - | オーストラリア |
1月 | 全豪オープン | R16 | /128 | ハード | グランドスラム | オーストラリア |
2月 | マルセイユ | 優勝 | /32 | ハード | - | フランス |
2月 | ロッテルダム | ベスト4 | /32 | ハード | - | オランダ |
2月 | ドバイ | 優勝 | /32 | ハード | - | アラブ首長国連邦 |
3月 | インディアンウェルズ | R32 | /64 | ハード | マスターズ | アメリカ |
3月 | マイアミ | ベスト8 | /96 | ハード | マスターズ | アメリカ |
4月 | ミュンヘン | 優勝 | /32 | クレー | - | ドイツ |
5月 | ローマ | 準優勝 | /64 | クレー | マスターズ | イタリア |
5月 | ハンブルグ | R16 | /64 | クレー | マスターズ | ドイツ |
5月 | 全仏オープン | R128 | /128 | クレー | グランドスラム | フランス |
6月 | ハレ | 優勝 | /32 | 芝 | - | ドイツ |
6月 | ウィンブルドン | 優勝 | /128 | 芝 | グランドスラム | イギリス |
7月 | グスタード | 準優勝 | /32 | クレー | - | スイス |
8月 | モントリオール | ベスト4 | /64 | ハード | マスターズ | カナダ |
8月 | シンシナティ | R32 | /64 | ハード | マスターズ | アメリカ |
8月 | 全米オープン | R16 | /128 | ハード | グランドスラム | アメリカ |
10月 | ウィーン | 優勝 | /32 | ハード | - | オーストリア |
10月 | マドリッド | ベスト4 | /48 | ハード | マスターズ | スペイン |
10月 | バーゼル | R16 | /32 | カーペット | - | スイス |
10月 | パリ | ベスト8 | /48 | カーペット | マスターズ | フランス |
11月 | マスターズカップ | 優勝 | /8 | ハード | - | - |
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